【断片20120108 肉体】

運動が苦手で、避けてきたのだが、去年の半ばから、私は体はあまりつかわず頭のほうを使って、表現もしている気がして、それは偏っていると感じ、体を使いたいと思っていた。詩でもやはり、声、音の流れというのも重要な要素の筈だとだんだん思われてきた。芭蕉は句を作るときは千回口にするように言ったということだし。

昨年末から、野口体操をもとにしたゆるゆら体操という教室に行き、なんだか不思議な感覚がある。体を通じるコミュニケーションは、言葉でのやりとりとは違うな…と感じる。なんだかとても、やわらかく感じもする。教室の瀬戸嶋充先生や生徒さん等の、やわらかい素敵さのおかげかもしれないけれど。

瀬戸嶋先生のサイト「からだ・こころ・ことば レッスンBLOG」(素敵!)
http://ningentoengekikenkyu.blog.fc2.com/

この間美学校の代表藤川さんにも、絵を見て貰ったとき、こんなふうに頭つかわずに描いた方がいいと言っていただいた。私が頭悪いくせに頭でっかちになりがちなところを見抜かれている…。

この間若くして亡くなった友だちは、それはそれはとても見事な筋肉の美しい肉体をしていたな…。彼は自覚的に筋肉をつけてもいた。それは燃えてしまい、骨が残った。骨の間を風が吹き抜けるようだった。葬儀屋さんが、のど仏の骨を、立派なのど仏でございます、と言っていたっけ。

体を通じるコミュニケーションといえばセックスもあるけれど、やはりこれも言葉では表現できない事のやりとりができると思う。体だけの関係、なんて言い方をする人もいるけど、それでも言葉ではない何かを、やりとりできているのじゃないかな。