アルトー24時 感想

美学校の後輩、中島晴矢君が出演した演劇『アルトー24時』を9月1日に見に行った。見終わると、ぐったりしていた。トイレに行ったら、下着におびただしい血が着いていた。いつもより早く生理が始まっていたのだ。だから、ぬるぬるしていたのか。舞台は、常にエロティックな空気が充満していた。だからだと思っていたのだが…。
舞台には、人間と人形が同時に立つ。「江戸糸あやつり人形座」という人形使いと、芥正彦氏による演出の演劇や舞踏の混交した舞台だからである。人形と、人間だけでなく、人形をあやつる黒子が舞台にあり、黒子というのはどういう存在なんだろう、と思う。霊のようなものだろうか。なにか恐ろしい存在だと思った。
人形もまた生命を持つものだと思った。人間とは異種のひとつ生き物だ。
アルトーの詩はすこしは読んだことがあったが、なんだか難しく、頭に入ってこなかった。私には難しいことがわからない。ただ、このごろはそれを開き直っている。難しいことを、死ぬまで執拗に述べる男たちが、なんだかかわいそうにもかわいらしくも思えるときがある。観念的な言葉、論理、それはそれで、奇妙で芸術的な作品だと思う。
ただ、今回、この劇を見て、アルトーをもういちど読んでみようと思った。芥氏の、ときどき裏返る、あられもないアルトーの朗読や、見ていて恥ずかしくなるような赤裸々なこの舞台(全裸、巨根のアルトー、肛門、性倒錯…)が、私の頭でなく肉体を打ったような気がした。 
また、佐藤薫氏の音楽、蛍光灯が楽器なのか、衝撃的な爆音は、まさに雷のように観客の上に落ちて、電気ショックを与えたに違いない。
そして中島君のミシマは、あいかわらずだったなあ。ふざけている。この劇の中で中島ミシマがいちばん冷笑家のような感じだ。
それにしても演劇というのも、美術、音楽などいろいろなものが入っているからか、観客にあたえるインパクトの強いメディアだな、と思った。

追記
たとえば人形に魂が入ったような瞬間、人形の肌が輝きぬめぬめと光りだしたような、生命を感じる瞬間、爆音に貫かれたような瞬間、それはシンプルな体験だが何度も感じたい、私はそんな体験をしたいがために、これからもなにかを見に行くんだろうな。