デモについて

原発を推進してきたモノ、原発を維持しようとするモノ、に対する怒りと興味と関心は、あまりない。
なぜか…、理由を考える。いろいろ浮かんでくる。新聞を読んでない、ニュースに興味がもてない、情報が足りないから実感がわかない、放射能の影響(がんになる、等)を深く考えていない…。あたまがぼーっとしている。
なんか情けないな。大人じゃないし、アーティスティックでもない。
直接に甚大な被害を受けた当事者じゃない、ということも大きい。当事者じゃないということは、他人事であり、まったく別の経験であるにちがいない。
(まあ、もちろん放射能の影響は他人事ではないが、影響があろうがなかろうがどうせ、いずれは死ぬのだし。…かわいそうなのは子供だけだ。)
他人事に首をつっこむのは、なんかいさぎよくないような気もする。気が引ける。
もちろん、社会運動は、そういうことではないのはわかってるけど、…でも社会運動はおせっかいな面がある。
他人の不幸を自分の事として考えられるのか、他人の親が死んだとして、それを自分の痛みとして感じられるか、というとそれは無理だし、もし感じられると言ったら欺瞞だ。
だから社会活動には、嘘とか欺瞞などのにおいもする。
だが、多分活動をしている人というのは、そんなことではなく、なにより活動をすることが好きであるのにちがいない。
嘘とか欺瞞とかそんなことは、どうでもいいと。幸せな社会を実現することが大事なのだと。活動が好きだからこそ、そんなふうに思えるんだろう。
でもわたしは、そんなふうには割り切れない。というよりも、単純に、活動があんまり好きではないんだな。
ん〜どうなのかな。この分析はあたってるかな。
まあ、あんまり深くかんがえず、そんなふうにとらえておこう。
それで、気軽な気持ちで、デモを見物しにいこうと思う。