【小説】あかるいみらい(1)「東京のクラゲ」

爪ヤスリで、爪を丸く整える。
爪切りで爪を切ると、角度がうまくコントロールできずに、バランスが崩れる。左右対称でない爪は、気にしないでおこうと思えば気にしないでいられるのだが、そこに澱のようなものが残る。雑にしていることを気にしないようにしていると、その澱が溜まっていって、やがて口を塞ぎ鼻を塞ぎ、窒息して死ぬのではないか、と思えてくる。
左右対称に丸く整えた爪に、ピンク色のマニキュアを塗る。
なぜ塗るのか、意味はわからない。指を長くきれいに見せるためだ。だけど、つきつめて考えてみると、それに意味があるのか、未来にはわからない。男の前で、手を揺らしてみせるためだ、とも言える。でも、それに何の意味があるのか、男が未来の手を握って引き寄せる。体に電流が走るような感覚。でもそれに何の意味があるのだろう。
つきつめて考えると、なんでもそうだ。
だから、未来は、つきつめて考えないようにしている。
澱がたまっていく。頭がぼんやりしてくる。

隅田川にかかる橋を歩いていた。吾妻橋だ。半ばで立ち止まって、橋の赤い欄干に身体を預けて、川面を見下ろした。半透明の丸いものがたくさん川を流れていく。くらげの群だった。くらげの群は海へ向かっていた。ビルとビルの間を流れる川を。

夜、寝る前に、気に入った映像を見ると、脳がリラックスしてよい睡眠が得られる、と脳科学者がテレビで喋っていた。未来は、いつも同じ映画のDVDを、灯りを消した寝室のベッドの中で見てから眠る。『アカルイミライ』という映画だ。映画の中で、くらげの群が長い川を海へ向かう。

映画を100回観た。何かが成就したのかもしれない。

隅田川でくらげの群を見たのはその次の日だった。映画の中の川が現実へ溢れだし、増水した川に現実が飲み込まれるような感覚に一瞬おそわれた。
映画の中の川と現実の川を、フィルムのように重ね合わせる。すこしの誤差が、ホログラムのようなぶれを生み出す。

その映画が現実の中へ現れたのは、このときだけではなかったのだ。