【小説】あかるいみらい(2)「馬という字のつく町」

「馬…、何だったかしらねえ、たしか、馬という字がついていたわよ」

わたしが生まれた場所ってどこだったの?と未来は祖母にきいた。

未来の父母は、未来が2歳の時に離婚している。母親は未来をつれて、その家を出たのだった。
未来の母親も、祖母も、その住所をおぼえていない。
そんなものなのだ、と未来は思う、それでいい。私の生まれた場所を身内は誰も知らないし、今となっては、自分以外の誰も興味がない。

だから、探すのは、自分しかいないのだ。

でも探していいのだろうか、と思う。
誰に責められるのではないのに、そのはずなのに、誰も笑うはずもないのに。
笑われている気がする。
いまさら過去のことを知って、何の意味があるのか、と笑っている。

誰が笑っているんだろう。その正体を見たい。

誰のものなのかわからないざわめきの中に、ひとりが立ち上がる気配があった。
それは、ただひとりの意思をもつ存在のようだった。
意味がなくてもなしとげられなければならない事柄というものがあることを、未来は知らないが、その存在は知っている。
その存在に、未来はあやつられる。

映画『アカルイミライ』の中に出てくる青いカフェの場面を見ているときに、一瞬、馬、という文字が目に入った。
リピートして何度も見直した。離婚したために別れて暮らしていた父子がカフェで再び会う場面だ。それは青い建物のオープンカフェだった。
カフェのあるビルの名前が一瞬、画面を横切る。そこで一時停止ボタンを押すが、なかなか思うところで止まってくれない。何度目かにようやく乱れた静止画面の中に、かろうじて、読むことができた。

「下馬パークハウス」

母親も、未来を生んだ時に住んでいた住所を忘れていたが、渋谷駅からバスに乗って帰ったことは覚えていた。

未来は東京の地図を広げた。
調べてみると、馬のつく地名は東京に52箇所あった。
渋谷に近い馬のつく地名には、上馬、下馬がある。

やがて、未来の戸籍とともに母親から手紙が届いた。
手紙には、住んでいた場所はたしか、下馬だった、と書いてあった。

未来は、一週間後に上京してくる母親と下馬に行く約束をした。

未来は渋谷のバスターミナルで母親と待ち合わせた。

春の浅い3月の初め頃だった。
渋谷は若者の街と、世間で言われているけれど、新しいものがあるばかりではない。
未来の生まれた頃、あるいはまだ生まれていない頃から、さらには江戸時代から縄文時代、それからさらには地球が出来たときから、そこにあるものが土台として大きくあり、その上を、その時々に新しいものが、うつろい、消えていく。新しいものというキラキラして美しい亡霊が、動きようのない大地の上をうつろっていくような、そんな気がした。
大昔、渋谷には小川が流れていた、と聞いたことがある。『春の小川』という童謡の素材となったのは、渋谷だったのだと聞いたことがあった。

正午のバスターミナルは、その日最も高いところからの日の光に照らされていた。ここが、未来がまだ下馬に住んでいた時間のバスターミナルであっても、おかしくない、という既視感を未来は感じた。今、ここに、若い母親が、夫の酒乱と暴力に悩みながら、赤ん坊の自分をおぶって、バスに乗って、渋谷へ夕食の買い物に来てもおかしくない気がした。今にも目の前のバスから母親と自分が降りてきそうな気がする。そのことを思うと、未来は悲しいような、それでいて喜びのような、アンビバレンツな感情におそわれた。赤ん坊の私は重かっただろうか。
なぜ、今さら、実の父親のことを知りたいと思ったのだろう。

歩道橋の上に、ずっと動かない人影がある。中年の男のようだが、影になっていて顔も服装もよくわからない。それが実の父親であるように感じた。未来はそれまでも、いろんな場所で、そんな人影を見るとそれが父親ではないか、と思うことがあった。本当にそうだと思っている訳ではない。ただ、そう思うと、甘い気分になった。それと同時に、知っている世界と知らない世界の境界に立っているような、自由であると同時に不安な気分になった。犯罪を犯して逃げている時は、こんな気がするのかな、と未来は思った。

母親がやってきた。
田舎からわざわざ、昔住んでいた家を探すために東京へ出てきてくれたのだった。

未来が、実の父親の事を今になって知りたいと言ったときに、母親がけげんそうな顔をしたことを忘れなかった。あるいは、母親がけげんそうな顔をした、と思ったのは、未来の思い込みなのかもしれなかった。
ただ、けげんそうな顔をされたことが、心外であり、また不思議な気がした。
だが、母親にとっては、かつての夫であるとはいえ、血のつながりがない他人であり、血がつながっているのは自分しかいないので、母親が二度と、未来の父親のことを思い出さなかったとしても、自然であるといえるのかもしれなかった。
自然とは、そういうものなのだろう。それが不思議だった。自然は不思議だ、と思った。
血のつながり、というもの、あるいは、父親へのこだわり、というものこそ、自然からはずれた人間特有の病のようなものであるのかもしれない。
病であってもなんでも、未来は、実の父親を知りたいと思った。確固とした意志を持つことがあまりなかった未来の中に生まれてきたひとつの意志だったのだった。

すこし迷ったあげくに、下馬を通るバスを待つ列に未来と母親は並んだ。
これから、バスに乗って、自分の生まれた家を探しにいくのだ。