【小説】あかるいみらい(3)「青い壁のカフェ」

バスにのって、首都高の下の影になった道路を行く。人でいっぱいなのは渋谷の街の中だけで、バスですこし離れると、急に人も少なくなり、物音も小さくなる。バスの窓から見る風景は、首都高やお互いのビルの影になっているので蒼暗く、まるで水族館の様だ。急に水深が深くなり、水圧が高くなった感じがする。
真昼の都バスを、そんな風に感じるのはおかしい。一方では、バスの音や、昼の白い光が不意に突き刺さるように未来を現実に引き戻す。
それでも、ともすると四角く切り取られたバスの窓の向こうには、深い水がたたえられ、魚影がときどき姿を見せた。未来は暗い水族館の中に、物思いに沈んだ。

やがて首都高の下の道を三宿の交差点で左に曲がった。母親が、外の風景に注意をしはじめ、未来は緊張しはじめた。自分の生まれたという家をさがすだけで緊張している自分の気の弱さに自己嫌悪を感じる。腹を立ててみる。なぜわざわざ自分の生まれた家なんて探さなきゃならないんだ。なぜ、万引きでもしているように、びくびくしなければならないんだろう。

母親が、これかもしれない、というバス停の名前がアナウンスされ、ブザーを押す。

「たしか、このあたりだったとおもうのよ。」
バスを降りて、母親とふたりで、初めて来た町を歩く。いや、初めてではないはずだった。それでも、バスを降りると、現実に引き戻されたように乾いた日の光の中に、知らない町があった。未来は、母親が自分の、生まれた家を探したい、などという、センチメンタルな願いを聞いてくれて、この町まで来てくれたことが嬉しい。それは、生まれた家を探すというこの行動を共有することが、母と自分だけの特別な関係を回復できるような気がしたからかもしれない。母親がこの町を出たころは、母親と未来はふたりきりだった、と思った。母親は夫と夫の家族とこの町から逃げ出し、家族のいる東京を出て、奈良へ移り住んだのだった。そして今の夫と出会うまでの間は、母親と未来はふたりきりで生きていた、と未来は思った。そのころの、おぼろげな、もう存在しない幻のような感情が、よみがえった。だが、それが幻でしかないことが悲しい。生まれた家など見つからなくても、母親とこの町に来られたことが嬉しかった。未来はとなりを歩いている母親を見た。母親は、きょろきょろと、あたりを探っている。
しばらく通りを歩いていると、見覚えのある建物が見えた。

カチッとスイッチが入る音が聞こえた。

映画がふたたび姿を現したのだ。現れたのは、100回繰り返し見たあの映画の中に出てきた、青い壁のカフェだった。ビルには、「下馬パークハウス」という文字が刻まれている。このカフェが出てくる場面は、映画の中では小雨が降っていた。カフェの向かいにある世田谷公園の緑が雨に濡れ、風に揺れていた。今は太陽が真上にある。雨と晴れ、二つの風景が重なり合う。現実というのは、こんなふうに、何枚ものフィルムが重なったものなのかもしれない、と思う。

「たしかこっちだったわ。」母親は、通りから細い路地へ入っていく。未来は母親についていった。生まれた家は、そのカフェから通りを一本入った、5分も歩かないすぐ近い場所にあった。